2009年07月13日

携帯電話を変えます

090711_1456~001.jpg
 今機種交換手続き中なのだけど、ケアレスミスがあり、もしかするとしばしネットもメールも不通になるかもしれない(>_<)
 回線が携帯一本だけなのはこういうときピンチ。
 


 迷走中。立ち尽くすばかり。どうしたいのか、まったく、わからなくなっています。

2009年06月28日

朗読「花のレクイエム・紫陽花」



 辻邦生さんの短篇集「花のレクイエム」から、六月・紫陽花の朗読です。
 単行本5ページの物語で、長さは六分程度です。



amazon →  花のレクイエム
posted by きなり at 18:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ドロップ

2009年06月24日

時間がながれる

090609_0816~001.jpg090611_0815~001.jpg090615_1910~002.jpg090617_0815~002.jpg090619_1900~001.jpg090622_0818~001.jpg090624_1906~001.jpg 090625_1848~003.jpg 090625_1848~002.jpg 090626_1847~001.jpg


 あっという間に六月ものこりわずか。蕾に目が留まった9日から今日(26日)までのあじさいの花の経過、花弁は開いたもののまだ黄みどり色。彩を帯びるのは七月に入ってからかな。
 土日に出かけ、高校の同級生や昔の職場でお世話になった方に久しぶりに会い、話をする機会を得ました。ある人など十五年ぶりかな?お互い見た目が変わってないと笑い合いました。

 本も買い読んでいるのだけどのめりこめず。書くのもさぼり気味。ただ、昨日読んだ岩波文庫の水妖記はおもしろかった。明快な物語、思うこともさまざま。夜通し読んでいたため寝不足。

(写真が重複していたので、新しい写真を足して再アップしました 6/26 )

2009年06月18日

【北展】6/17〜6/21

hokuten200806.jpg


2009 第57回 会員会友展 [北展]


■開催日  6月17日(水)〜6月21日(日) AM10:00-PM5:00 (最終日はPM4:30迄)

■会 場  山形美術館 1F

■入場料  大人 500円 学生 400円  小中生 無料

■内 容  絵画・彫刻・工芸の展示


 もうそんな時期なのですね。このあたりは今日はすごい雷雨でした。
posted by きなり at 01:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | おもしろいものあるよ

2009年06月14日

本「春の戴冠(下)」



amazon → 春の戴冠〈3〉 (中公文庫) ・ 春の戴冠〈4〉 (中公文庫)

リンクは最近出版された中公文庫(全四巻)のうち、今回読んだ新潮社単行本下巻に相応する3・4巻です


 私が言いたいのは、サンドロがどんな場合にも、昼の世界の向う側にある、暗い、おぞましい、不安な風の吹く夜の世界を忘れることがなかった、ということである。彼が地上の生活を抱きしめたいと言ったとしても、それは、父の家の晩餐の常連だった葡萄酒商のミケーレが陽気に賑やかに盃をあげて、「ああ、生きてるってことは素晴しいですな」と叫ぶのとは、全く異なっていたのである。

『春の戴冠(下)』 辻邦生 新潮社 P230

 辻邦生さんの「春の戴冠」下巻を読了した。上巻を踏み込んで読んでいない気がしてためらっていたのを、朝倉さんの記事 ( 『朝倉の雑記帳http://p9r.toypark.in/index.php 2009/03/30「辻邦生、バルザック、「同一の型」の反覆。」http://p9r.toypark.in/index.php?e=481 )から後押ししてもらって読み始めた。
 結論を先に言うと、私に必要だったのは下巻部だった。(言うまでもなく、上巻を通過しなければ、下巻で表わされる重さをその重さとしてとらえることはできないのだけれど。)

 私が辻さんの小説に惹かれたのは、この「暗い、おぞましい、不安の吹く夜の世界」を踏まえた上で、かつて接したことのない純粋な光に満ちた世界、光だけの世界を描き出しているところにだった。無垢で美しいものは、無垢で美しいと思う。でもそれだけではなく、暗くおぞましいうすら暗いものが、その薄ら暗さに付随するヘドロの様な厭らしさ伴うことなく明瞭に存在し、明暗すべてを同等に包括し均一に手渡して見せてくれるところに惹かれ、今もそこに捕らえられているのだと、改めて感じた。

 「春の戴冠」は「円形劇場から」と同じつくりだったのだと、下巻を読み終わってから気づいた。明るいところはより強い輝きと彩りに満たされ、闇は艶のある明朗な漆黒、淡々としているゆえに惨忍で忌まわしい。しかしいずれも自分の見聞する日常の延長線上にある。
 楽しい、嬉しい、辛い、悲しい、そういう感情が、一個人の小さなものではなく、その場に時代に居合わせた人たちに共通した普遍的なもので、手の中に納まるものではなく、私自身がその感情そのものに包まれている感じがした。だからひどく辛い感じがしたとしても、それは胸が痛むというものではなく、自分の周囲の空気が薄い、自分の今立っている地面がゆっくり大きく揺れている感じで、自分ではどうすることもできない、自分自身の力ではどうすることもできない大きな力によって翻弄され突き回され自分がこの場にいることもただ外側からの力によってその場に居させられている、そう感じ、無力感に苛まれた。

 自分たちと変わらぬ街の住民であったパッツィ家への人々への仕打ちを、コシモやロレンツォを信奉していた人たちがピエロへ向けた眼差しを、神聖であった本が汚い動物か何かのように眺められるのに直面し立ち尽くすさまを、回想録の書き手であるフェデリゴに忌まわしいものと予告され続けた予言者の ─── 私にはほつれを見つけられない信念を持つその人の ─── 言葉により引き起こされた「茶番劇」の惨めさを、ただの物語の中の、結末に導くためのエピソードなのだとは考えられない。この物語の世界も、自分の現状も、「永遠の劇場での出来事」だと思えるほど、自分と外側を切り離して考えることができない。客観視ができない。
 信じきる、特定の事柄に自分のすべてを捧げる一途さ、燃え上がることの崇高さや純粋さ、危うさと愚かさ。そして燃え尽きた熱狂の醜さ。それを客観的に見せられてさえその状況に魅力を感じたりはまり込んだりしてしまう自分をコントロールできない。それが良い又は悪いという他者の意見に拘らず、私はこの「自分の外の状況に激しく心が動かされ物の見方が変化していく ─── 本心を言うなら『自分の思惑を無視して変化させられてしまう』 ─── 状況を、絶望的だと思う。それを見逃すこともできない(許すことで直面することを受け入れられない)し、肯定することもできない。さらに、肯定できない自分を、忌まわしく思う。
 著者が読み手であるこちらに繰り返し述べ手渡してくれている、そこまでの闇をすべて踏まえた上での肯定を受け取ってさえ、状況の変化や時の流れ、期待どおりの結果が得られなかったことによる人の心の変化を、受け入れたくない。
 相手に心酔し熱狂したのち忌み嫌い徹底的に踏みにじる、しかも「自分の行いがまったく正しいと確信しながら、信頼し愛着を表現してきた相手を打ちのめす」こと、その勝手さ、自己中心のその素片が自分にあることを認識しているゆえ闇はより濃く映り、肯定のための日常への敬意を見出していないから光が消し飛んでしまう。


 それは事の是非を冷静に考えるというのではなく、或る一時以外はすべて否認するという、極端に狭い心の動きに人々が閉じこめられていることを示していた。つまりそれに合致しないものは、一切合財、激烈に拒否されるが、反対に、それに合うと感じられるものは、事の当否に関係なく、すべて許容されるということになるのであった。

同 P397-P398


 アンナは正義の観念にとりつかれているんだ。もう少し年齢(とし)がゆけば、どんな観念も、ただその形のままで地上に存在し得ず、それが存在するためには、つねに、物象(もの)の形を借りなければならない、ということがわかるようになるんだよ。しかしいまは、まさしく正義の形を正確に切り抜いたような存在を求めるために、苛立ったり、絶望したり、憤怒に駆られたりしているんだね。

同 P372


***

 この文章を書いたのは、二ヶ月前の四月半ば。あと二つ、「春の戴冠」を読んだことで感じ、考え、掲載しようとして保留にした記事があるので、少ししたら上げます。
posted by きなり at 12:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本

2009年06月10日

およぐよう

090527_1851~001.jpg
 記憶の中の水泳の授業は水が重く緩慢に動く自分はスローモーションの世界にいて周りは早送りで進んでいるように見えている。自分と周囲の時間の速度が剥離していくねじれの感覚も呼び起こされる。
 なんかね、伝えようとする意思をもってパソコンを立ち上げても全く書けず時間ばかり過ぎるのです。以前は思ったことが伝わったらうれしいと思っていたけれど、今は伝わってしまうことが、誰に対してであれ、伝わってしまうことそのものをうれしがれない、望んでいない部分があり。
 怖いもの知らずの無邪気さ。そういうふりをしていれば、何かあってもそれを盾に気づかないふりをし続けてやりすごしていられたけれど、今は、怖いものを知ってしまった。

 上げようとして書いていた少し前の自分の文章を読んで涙が出た。気づかないうちに何かに流されていてその時の位置を離れてしまった。目印も支えも意味をなさなくなっていて、ああ、これはプールの中央に立ち尽くすあの感じに似ている、と連想し圧迫される感覚までも体感した。

*

 東沢のバラ公園がさかりだそう。息苦しいほど甘く物憂く蒸された空間、逢魔が時ならなお。

2009年06月06日

仕事に追われて

090527_1854~001.jpg
 今週は異変とか飛び込みの作業が多くて、帰宅してからパソコンを立ち上げる時間がありませんでした。今日も仕事。ただ慌ただしくしているだけなので、ごしんぱいなく。
 ずっとストックされたままになっている記事を、近いうちに上げたいと思ってます。

2009年05月26日

朗読「花のレクイエム・クレマチス」



 辻邦生さんの短篇集「花のレクイエム」から、五月・クレマチスの朗読です。
 単行本5ページの物語で、長さは六分程度です。



amazon →  花のレクイエム
posted by きなり at 23:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | ドロップ

2009年05月22日

パソコン回復と

090521_0816~001.jpg 
 朝、「アップデートが完了しました」という表示を見て、駄目だとしか予想していなかったから喜ぶより驚いてしまった。赤信号が出てない状態は一ヶ月ぶり。
 ウィルス対策ソフト、夜通し通信四日目(八時間×4回)にしてようやく完了。稼働音が気になって、また、目覚ましアラームとして使っている携帯電話がネット通信回線にとられているため安眠できずに寝不足気味。

 テレビの視点・論点で新型インフルエンザについて扱っていてなんとなく見ていたら「新型に限らずインフルエンザにこういう措置や対処をしているのは日本だけ・いずれ日本中全員が新型インフルエンザにかかる・危険はインフルエンザがきっかけとなる肺炎・必要は大量の肺炎患者を治療する入院設備、抗生物質と人工呼吸器」
という話だった。ふつうのニュースでそういう話を聞かないぞとちょっとびびった。

*
 
 おとといの朝、起きて少しぼんやりしていたとき、考え続けていたことの答えが、ふと、わかった。とてもシンプルなことだった。
 これを核に散らばっている考えをまとめ、書きついでいくことが大切。大切なことを大切にすることは大事なこと。

2009年05月18日

パソコン復活させられず

 土曜日は私が一日寝込んでた。日曜日、朝からパソコンのメンテナンス。サーバとの連携がとれなくなったメールソフトを以前使っていたソフトに切り換え。ウイルス対策ソフトの再インストール。プログラムのダウンロードに何度も失敗。なんとかインストールし、定義ファイルの手動アップデートを夜十時頃から開始、なかなか
終わらず。夜中風強い。諦めてほったからして眠り、パソコン(よりは通信用の電話)が気になり何度も起きて様子を見ると、少しずつ進んでいて、朝五時にもまだ進行中。あとわずかだったので期待していたけど七時になって失敗。
 また次も八時間もかかるのかしら。定義ファイルの更新がならなくなってから、パソコンからメールも送れないし、自分のブログにログインすることもままなりません。困った(>_<)
RDF Site Summary
RSS 2.0